Road to Nowhere (2010)  Dir. Monte Hellman 
ひっそりと上映されていた「ロード・トゥ・ノーウェア」。モンテ・ヘルマンの新作映画としては、20年以上のブランクがある。ヘルマンの娘が、どうしても、もう一度父親の映画を見たい、と資金集めをし製作にこぎつけたという、素敵ないきさつのある生粋の自主映画だ。これは、映画監督が主人公の「映画作りの映画」でもある。脚本家のSteve Gaydosとヘルマン自身が、かつての制作のなかで実際に体験し、感じた部分も多く反映されていると語っており、個人的な思いの詰まった作品となっている。
保険金詐欺、殺人事件がからみ、また「行き場のない道」というタイトルからフィルム・ノワール的な展開を予想するのはたやすく、またノワール好きのシネフィル監督が映画愛を込めて作ったんか…。と思うことなかれ!そんな古ぼけた気恥ずかしさなんてない。みずみずしくロマンティックな映画なのだ!!
こんな具合に始まる。ラップトップにDVDが挿入されると、スクリーンには、ベッドの上でマニュキアを塗る女が映し出される。それは、制作中の映画の1シーンのようだ。カメラは、スクリーン上の女優にむかって、ゆっくりとズームインしていく。そしていつのまにか、わたしたち観客の視点は、ラップトップのスクリーンを越えて、映画のなかの映画へと入ってしまっている。そんな風に縦横無尽に制作中の映画のシーンと、現実のシーンが行き交う。だから本気でストーリーを追おうとすると、とにかくややこしい。私はすぐさま頭で見る事をやめ、感性にまかせた。「三つ数えろ」を見た事がある人なら理解してくれるはずだ。意味がいっこうにわからなくて、びりびりしびれる映画はある。
これをみた翌日に「スーパーエイト」を見た。超大作と低予算自主の二つをわざわざ比べることもないのだが、ふと思ったのは、「スーパーエイト」では、カメラが常になにかを起こるのを予期し待機しているのに対し、「ロード・トゥ・ノーウェア」では、なにかが起こるのを無視すらしているほど、そっけない。前者では、さもなにか、すんごいなものが襲って来るように、カメラアングルやサスペンスフルな編集を駆使して、その雰囲気だけでひっぱったあげく、最終的にたいしたものは見せてはくれなかった。その正反対で「ロード・トゥ・ノーウェア」は、まったく予期せぬときに、瞬間的になにかが起こるのだが、そのタイミングがまるで、迷いながらまったく知らない不思議な場所に辿りついてしまうような、そんな驚きに満ちている。その驚きが、美しいものであれ、哀しいものであれ、なんだか人生ってそういうものなんだ、と切実に思った。
すっかりこの映画に魅せられた私は、同じくニコンCanonの5Dで次の映画を撮ろうかと考え始めている。ヘルマン曰く、小さいから「撮っている」感がないそうだ。そんなとこだけ真似してもしゃあないとは、わかっちゃいるけど、せめて少しだけでも。

Road to Nowhere (2010)  Dir. Monte Hellman

ひっそりと上映されていた「ロード・トゥ・ノーウェア」。モンテ・ヘルマンの新作映画としては、20年以上のブランクがある。ヘルマンの娘が、どうしても、もう一度父親の映画を見たい、と資金集めをし製作にこぎつけたという、素敵ないきさつのある生粋の自主映画だ。これは、映画監督が主人公の「映画作りの映画」でもある。脚本家のSteve Gaydosとヘルマン自身が、かつての制作のなかで実際に体験し、感じた部分も多く反映されていると語っており、個人的な思いの詰まった作品となっている。

保険金詐欺、殺人事件がからみ、また「行き場のない道」というタイトルからフィルム・ノワール的な展開を予想するのはたやすく、またノワール好きのシネフィル監督が映画愛を込めて作ったんか…。と思うことなかれ!そんな古ぼけた気恥ずかしさなんてない。みずみずしくロマンティックな映画なのだ!!

こんな具合に始まる。ラップトップにDVDが挿入されると、スクリーンには、ベッドの上でマニュキアを塗る女が映し出される。それは、制作中の映画の1シーンのようだ。カメラは、スクリーン上の女優にむかって、ゆっくりとズームインしていく。そしていつのまにか、わたしたち観客の視点は、ラップトップのスクリーンを越えて、映画のなかの映画へと入ってしまっている。そんな風に縦横無尽に制作中の映画のシーンと、現実のシーンが行き交う。だから本気でストーリーを追おうとすると、とにかくややこしい。私はすぐさま頭で見る事をやめ、感性にまかせた。「三つ数えろ」を見た事がある人なら理解してくれるはずだ。意味がいっこうにわからなくて、びりびりしびれる映画はある。

これをみた翌日に「スーパーエイト」を見た。超大作と低予算自主の二つをわざわざ比べることもないのだが、ふと思ったのは、「スーパーエイト」では、カメラが常になにかを起こるのを予期し待機しているのに対し、「ロード・トゥ・ノーウェア」では、なにかが起こるのを無視すらしているほど、そっけない。前者では、さもなにか、すんごいなものが襲って来るように、カメラアングルやサスペンスフルな編集を駆使して、その雰囲気だけでひっぱったあげく、最終的にたいしたものは見せてはくれなかった。その正反対で「ロード・トゥ・ノーウェア」は、まったく予期せぬときに、瞬間的になにかが起こるのだが、そのタイミングがまるで、迷いながらまったく知らない不思議な場所に辿りついてしまうような、そんな驚きに満ちている。その驚きが、美しいものであれ、哀しいものであれ、なんだか人生ってそういうものなんだ、と切実に思った。

すっかりこの映画に魅せられた私は、同じくニコンCanonの5Dで次の映画を撮ろうかと考え始めている。ヘルマン曰く、小さいから「撮っている」感がないそうだ。そんなとこだけ真似してもしゃあないとは、わかっちゃいるけど、せめて少しだけでも。